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vol.47 これでいいんだと迷いがなくなった

「人はいつからでも挑戦できる」が信条であり織田信長をこよなく愛する百合子さんの、これまでとこれからのSTORY。

電機メーカーの技術者として約20年のキャリアを持つ百合子さんは、赴任先の中国から2020年に帰国し独立。今、見えている世界とは。

戦国時代を語らせると止まらないという百合子さんは「携帯のストラップが信長だもん」と嬉しそうに話し、桶狭間の戦いで、信長の10倍の兵力を持つ今川義元を破った逆転満塁ホームラン的な勝利に心を震わせる人。これは、徳川家康を郷土の誇りとする愛知県岡崎市に生まれたことが大きく影響しているようです。また、生涯をかけて叶えたい夢は、劔岳を登ること。北アルプスの標高2,999mの山であり、一般登山者が登る山の中で国内最難関ルートとして有名です。信長への忠節を貫いた富山城主、佐々成政(さっさなりまさ)が厳冬期にザラ峠を越えた通称「さらさら越え」の伝説が残る場所を自分の目で見て歩きたいという理由で登山を始めたどこまでもチャレンジャーな彼女は、キャリア変遷も体当たり的です。

空前のバブル期に就職し、意外にも当時は良妻賢母を目指して結婚したという百合子さん。子供を諦めた頃に仕事を再開し、その面白さに夢中になり結婚している状態が窮屈になって離婚した、と笑う根っからの仕事人で、「上司から話を持ちかけられて、できる自信もないのにやります! って言ったんだよね」と、シンガポールの工場で排水のリサイクルをするプロジェクトメンバーに就任します。電機メーカーにて役員秘書から技術職への異例の異動を果たし、さらに言われたことをやる仕事では飽き足らず、こんな工場が作りたい! とアイデアを出してやらせてもらえるポジションを得て中国へ渡ります。中国国有企業にて管理職を経験し、言葉ができない状態での赴任から、中国人部下と言葉と文化を超えた心理面からのコミュニケーションがとれるようになるまでに。

中国での6年間の滞在で会社員生活を卒業し、2020年に帰国して独立。ビジネスチャンスを求めて学びを深めるなかで、壁にぶち当たります。働き方が多様化し、会社員でも副業したり、個人事業主でも多くのスキルや収入源を持つケースが増えている昨今、何をしている人? と聞かれてひとつの肩書きでおさまらない人が増えています。百合子さんも例外ではなく、実は長らく悶々としていたと言います。「あれこれに高水準で対応できる」が「とある分野の専門家」ではないことで、その道のプロと比較しては突出したものがない…と自信を持てずにいたと。同じような悩みを持つ人には、百合子さんの最近の気づきが朗報です。

興味ある分野の協会へ出向いたところ、これまでの経験を話すことを依頼されたそう。その後、講演を聞いた人からやってくるさまざまな問い合わせへ、求められるままにやっていくようになったと。「自分が波に乗るパターンは人からの頼まれごとに乗ったとき」と話す百合子さんは、思い返せば会社員の時もそうだった、と吹っ切れたように清々しい表情を見せます。「伝えることや教えることが好きで、その中身はたくさんある」と中国やシンガポールの工場で技術者として働いてきた経験や、中国の環境やエネルギーに関すること、企業を取材して記事にすること、企業内のチームマネージメント、人材育成、仕事に活用できるノート術、オンライン会議サポートなど、その守備範囲の広さはドラえもんのポケットからあれこれ道具が出てくるかのよう。自分の知らないことを知っていくのが好きな百合子さんは、アイテムをゲットしてレベルがあがるゲーム感覚で、便利な道具が今もなお増え続けているのです。

「別に何屋でもいいじゃん、私は深谷百合子です」

と、これからのことにワクワクと覚悟ができたと話します。

「人たらしな秀吉や、じっと耐えて機が熟すのを待つ家康には心が動かないのよー」と、危険を冒しながらもチャレンジした信長や成政の生き方を好み、北アルプスに登れる自分になる! と崖の上でマントをなびかせ明日の方向を指し示しているイメージが目に浮かぶようです(笑) 


取材協力:深谷百合子さん(Yuriko Fukaya)
写真:千葉仁(文中)・関山亜紗子(トップ)
愛知県岡崎市出身。電機メーカーの技術者として20年以上国内外で勤務。2020年からフリーランスの講師・ライター。
https://note.com/sh126969

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